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インタビュー:1616 / arita japan 百田憲由

伝統技術とデザインが出会い、これまでにない新しいアプローチの有田焼として誕生した1616 / arita japan。素材、色、形など、細やかなディテールから伝わってくる気迫の秘密を、プロジェクトの中心人物である百田陶園代表の百田憲由さんにお話を伺いました。発表から早2年、1616 / arita japanはものづくりのどういったところを切り開いたのでしょうか。

1616 / arita japan(以下、1616)が、これまでの有田焼と決定的に異なる点はどこですか。
よく聞かれることですが、実はなにも変わっていないんです。素材も技術も、焼き方も今まで通り。職人たちが何かやり方を変えたわけでもない。ひとつ言えることは、1616はデザイナーさんが入ったことによって考え方が変わったことだと思います。

考え方というのは、要するにどういうことでしょう。
有田の場合は、かつて「有田」という名前がブランドとして売れていた時代がありました。バブル期にはヨーロッパで古伊万里がアートという部分で評価されたこともありましたが、そういったスタイルを守って歴史を引き継ぐのが地元の我々の役目なんだと。そうすることで成り立っていたんです。ですが、戦後日本は食生活もファッションも西洋化されていった。生活様式や暮らし方に合わせて変わってきたスタイルというものがあったのに、有田焼は変わってこなかったんです。

有田の現状を見て新たな展開を打ち出したのが柳原照弘さんだったんですね。
うちの会社がパレスホテル東京に出店する際に店舗デザインを柳原さんにお願いすることにしていたのですが、私が店舗のことより新しい商品開発の方に夢中だったこともあって、はじめての打合せの時に新しい有田焼の構想や有田の状況についてを柳原さんにお話しました。すると柳原さんも興味を持ってくださり、すぐに有田の現場にも来てくれたんです。

新しい有田焼をつくりたい、ということですが、百田さんの方から何か具体的なお願いはされたのですか。
僕からは一切要望は言いませんでした。柳原さんから提案された図面を見た職人からは、そのあまりの斬新さに、はじめのうちは有田焼の“焼き物論”的な話があがったんですが、それは止めさせました。そういう話をするとこれまでのやり方、考え方になってしまうでしょう。だから職人の皆には「柳原さんとショルテンたちの図面通りにつくるための一番ベストな方法と、最高の仕上げ方だけを考えてつくって欲しい」と伝えました。

ラインナップで一番最初につくったのはどれですか。
最初につくったのはスクエアプレートです、このシリーズ。直線のラインがきれいなんですけど、この厚さでストレートに仕上げてさらに角度を付ける、ということがかなりの経験と技術を要求されるんです。普通のやり方では窯で焼いた時に垂れたり歪んだりしてしまうんです。

変な言い方ですけど、こういう繊細な形って職人さんは嫌がったりしないんですか。
窯元も最初は難しいと思ったんでしょうね。柳原さんに「器の内側と外側、どっちの直線を気にした方がいい?」と聞いていました。もう歪むことが前提にあったんでしょうね。だから仕上がった時に、大切にしたい部分を確認したんだと思います。あとこのお皿、フラットでしょ。高台が付いていないんです、柳原さんが「いらない」って言ったから(笑)。真っ平らに仕上げるというのは、窯で焼くときのリスクが大きいんです。器が窯の中で接地している面積が大きいから均等に縮まなくて歪んだり、縮むときに傷ができたり欠けたりしやすいわけです。

気持ちいいくらい平らですね。
四角形というのはどこかが歪むと浮いてコトコト動いちゃうんです。ね、これ動かないでしょう。

本当だ、すごい。そこには気が付きませんでした。野暮な質問ですが、これはどういう製法でつくっているんですか。
これは圧力製形でつくっています。型をつくって、そこに土を圧力をかけて流し込むんです。

柳原さんのデザインしたラインナップは“スタンダード”と呼ばれるシリーズになっていますね。
食器というのは、その国の食生活が形に反映されてますよね。ここ10年くらいのライフスタイルで考えてみると、欧米と日本の食生活に差があまりないというか、日本の食文化があまりにも変わってきたから家庭で和食を食べる人が少なくなってきました。柳原さんは最初から世界中の家庭、食卓でつかえるものをデザインするって言っていたので、そういった食文化の変化も見据えて食器の形を導いていったんだと思います。

2012年にミラノサローネで発表したときの様子をお聞きしてもいいですか。
先ず、ショルテンがとにかく驚いてくれたんですよ。実はミラノでの発表の時が彼らにとってもはじめて商品と対面する場だったんです。ぶっつけ本番だったんですよ。その時に言われたのが「自分たちの思っているクオリティの70%以下だったら商品化させるのをやめようと思っていた」と。だけど「自分たちが思っているものが100%だとしたら、120%の仕上がりだ」と言ってくれたんです。ニューヨーク・タイムズ紙も、焼き物でこういうデザインができるのかと、そのクオリティを褒めてくれました。

海外での評価も得て、1616は業界のどういうところを切り開いたと思いますか。
やっぱり考え方だったんじゃないでしょうかね。外からの視点。いままでにも海外に向けて挑戦をした会社っていっぱいあったんです。だけど、これまでの有田というブランドと商品を持っていっただけなので、受け入れられるわけがなかったんです。柳原さんはデザインに専念し、職人はつくることに集中する。その間を取り持ったり銀行とのやり取りは僕が請け負う(笑)。それぞれの立場や役割がわかれていたのが良かったんでしょう。お互いが無いものを持ち合わせていて。プロジェクトはそういう関係じゃないとうまくいかないんだなと思いました。

今後の展開について教えていただけますか。
2016年に有田焼が創業400年を迎えるのですが、それを契機にオランダ大使館と佐賀県が連携協定を結びました。商社、窯元、作家もデザイナーも巻き込んで、2016年にミラノで一つのブランドとして発表するというプロジェクトで、有田焼を世界商品として打ち出していくものです。海外への動きだけではなく、これは有田自体の活性にも繋がっていきます。いろいろな人が有田に興味を持ってくれて足を運んでくれるための土壌をつくって定着させることがこれからの僕や柳原さんの動きになります。

1616がきっかけとなって、それが今、有田という地域での活動に置き換わっているんですね。
はい。他にもフェラーリのデザインで知られている奥山清行さんのプロジェクトもあります。これからいろんなプロジェクトの軸のようなものが有田に出来るんでしょうね。たぶん2016年、有田はスポットを浴びるんじゃないですかね。

いろんなことを巻き込んでどんどん盛り上がっていきそうですね。
そう、盛り上がってきてますよ。有田に負けるかというところもいっぱい出来てきています。それはいいことですよね。いろんなところが元気になったらいい。有田も2年後をひとつの節目にどんどん盛り上がっていくことを期待しています。いろんな地域から人が来ることで、いろんな感性が入ってくれば町もどんどん良くなっていくんじゃないでしょうか。僕としては2年後、有田がいろんなクリエイターの方たちが普通に出入りしているような町になればいいなと思っているんです。クリエイターの人が有田という町で誰かと接触して何かものが生まれる、そういう状況をこれからつくっていけたらと思います。

百田憲由
有田焼の総合商社、株式会社百田陶園代表取締役社長。有田の窯元と商社がものづくりを共同で行う「匠の蔵」プロジェクトの初代リーダー。2012年、柳原照弘氏をデザイナー、ディレクターに招き制作した陶磁器ブランド「1616 / arita japan」をミラノサローネで発表し世界的な注目を集める。「エル・デコ・インターナショナル・デザイン・アワード・2013」ではテーブルウェア部門で世界一に輝いた。
http://1616arita.jp/
http://www.momota-touen.jp/